こんにちは。日比野です。
表の日比野庵で中々書けない内容はこちらの日比野庵日記で書くことにしているのですけれども、久々の更新になります。
2月24、25日のエントリー「新型コロナウイルスから身を守る方法 前後編」の続きとして、スピリチュアルな視点から、新型コロナウイルスについての考察と対策について考えてみたいと思います。まぁ、あっち系の話ですから、論を証明する手段もありません。話半分くらいで見ていただければと思います。
7.症状の差が激しいのが気になる
新型コロナウイルスに感染したときの症状について色々と報じられていますけれども、筆者が気になるのは、人によってその症状に差があり過ぎることです。
あるテレビ番組で、例のクルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号の乗客で新型コロナウイルスに感染した老夫婦への取材を報じていたのですけれども、持病がある旦那さんが重篤となったのに対し、同室で隔離され、同じく感染していた御婦人方は無症状でなんともなっていませんでした。
一般には、持病持ちは免疫力が落ちているから、重篤化しやすいなどと言われていますけれども、単純に免疫力の差でここまで症状に差があるのか、と筆者は強い違和感を覚えています。
大阪健康安全基盤研究所の奥野良信理事長は、2002年から2003年に流行したSARSと比べ病原性は弱いとしながらも「若い人は感染してもウイルスが増殖する間に免疫力がついて排除できるが、高齢者らは免疫力が低く、肺炎になる」と述べ、更に「インフルエンザウイルスの感染力なら週単位で市中の数万人に一気に蔓延する。今回もそうかと思ったが、クルーズ船など特殊な環境でスポット的に確認されているのが不思議だ……市中で広がった場合の感染力はそれほど強くないかもしれない……ウイルスの性質と症状がよく分かっていないことが一番怖い」とまだ謎の多いウイルスであることを指摘しています。
8.複数の種類がある新型コロナウイルス
「安倍政権は新型コロナで倒れるか」のエントリーのコメント欄でゆうこ様から教えていただいたのですけれども、日本バイオデータ社が新型コロナウイルスの遺伝子系統解析を行ったところ、新型コロナウイルスには複数の型があり、日本には既にその複数の新型コロナウイルスが入っているのだそうです。
つまり、今日本で感染したとされる新型コロナウイルスは、中国から一人のスーパースプレッダーが来て、全てそこから発生している訳ではないということです。
もっとも、新型コロナウイルスの型が違うといっても、全長30000塩基配列全体からみれば、その差異は0.3%未満だそうで、しかも解析サンプルのうち、東京の型ともっとも近いのはアリゾナやワシントンの型のもので、その差は僅か0.01%なのだそうです。
要するに、新型コロナウイルスはただでさえ変異しやすい上に、どこからでも入って来るので、水際対策を取ることは事実上不可能であるということです。
翻って、新型でない一般的なコロナウイルスを見てみれば、それこそ、そこら中に溢れている訳であり、それがほんの少し変異しただけで途端に、凶悪な新種のコロナウイルスに化けてしまう。まぁ、新種のウイルスで抗体を持っていないからといえば、それまでなのかもしれませんけれども、新種のコロナウイルスであっても、重篤になる人もいれば、軽症ですむ人や無症状の人さえいる。更には一度回復しても、再感染したりする。非常に不思議な感じがします。
ネットでは武漢の現地医師のコメントとして、既に、武漢の新型コロナウイルスの変異は既に6代目になっていて、その特徴は前代よりも感染性がもっと強く、症状ももっと辛いもので、有効な対策は全くないとの情報が流れています。
通常、ウイルスは変異によって弱毒化していくと言われているのですけれども、こと新型コロナウイルスについていえば、まるで、強毒化する変異や、弱毒化する変異、そして一度目の感染で獲得した抗体が無効になるくらい型の異なる変異とか、いろんな変異のバリエーションがあるとしか思えません。
9.ウイルスに宿る魂
ここからスピリチュアルな話になります。
個人的な話で申し訳ありませんけれども、筆者には長年お世話になっている師匠がいます。この方はいわゆる霊能者ではないのですけれども(と本人は言っている)、不思議な能力の持ち主でして、言葉を発しない生物や物に宿った想念を読むことが出来る方です。
一つエピソードを紹介します。師匠は庭先にプランターで花を栽培していたのですけれども、種をまいて蕾の手前くらいまで育ったくらいのとき、旅行で何日か家を空けたのだそうです。その間水をやれず、帰ってきたときに花は萎れ枯れかけていました。師匠は慌てて、水をやったのですけれども、その時、花から「やった~」「水だ、助かった」という喜びの想念がもやのように立ち上ってきたのだそうです。
師匠は心の中で花に詫び、次の日からは水を絶やさないようにしたそうです。(ちなみに翌日水をやったときには、想念のもやは出てこなかったと仰ってましたが)
筆者はその話を聞いたとき、植物にも感情があるというのは聞いたことがあっても、ここまで具体的なものだとは思いもよらず、驚いたのを覚えています。
師匠が凄いのはそれだけではありません。師匠がいうには、どうも、ウイルスにも想念が宿っているらしいのです。
昔、エボラ出血熱がアフリカを中心に流行して騒ぎになったことがありました。
当時も色々報道されていたのですけれども、師匠は何かの折に、パソコンで、エボラウイルスの顕微鏡写真を見たのですね。その瞬間、エボラウイルスから「皆殺しにしてやる」「破壊してやる」という悪想念が強烈に放射されていたのを感じたのだそうです。
師匠は慌てて「これは見てはいけない」とパソコンを閉じたのだそうですけれども、師匠曰く、「文字にしたら"最凶"と表現するしかないおぞましい想念だった。あれは一粒たりとも体に入れてはいけない」と仰っていました。
筆者には、ナノメートルサイズのウイルスにも魂(?)が宿っているなんて不思議でならないのですけれども、人体に有害なウイルスもあれば、無害のウイルスがあるのも事実です。筆者は単純にウイルスの構造や遺伝子配列でその性質の差が出るのだろうくらいに考えていたのですけれども、スピリチュアル的な見方をすれば、師匠のいうように、ウイルスに宿った魂の"善悪"がその性質を決めているといえるのかもしれません。
10.ウイルスは想念を餌にして変異する
今回の新型コロナウイルスについて、ウイルスに宿った"魂"が如何なるものかについて、師匠に聞けてはいないのですけれども、前述の師匠の話を元にすると、おそらくエボラ並に"極悪"な悪想念の魂が宿ったウイルスであると推測されます。
それを前提に考えてみたとき、ある可能性が浮かびました。
先程、スピリチュアル的にみれば、ウイルスの性質はそこに宿った魂の性質が決めると述べましたけれども、ウイルスが変異するとき、その変異の方向も宿った魂あるいは、ウイルスの周囲に漂う想念の影響を受けるのではないかということです。
つまり、ウイルスが強毒化するのも弱毒化するのもウイルスに宿った魂の性質に従って変異した結果であり、そしてウイルスの周囲に悪想念が溜っていれば、それをいわば"餌"にして、より強毒化するように変異していくのではないかということです。
では、武漢ではいかなる想念が溜っているだろうかと考えてみると、おそらく、中国共産党政府に対する不満というか、怒りが溜っていると思われます。それは、ネットに上がっている武漢現地住民や現場医師の動画をみれば明らかです。
先に、武漢現地医師から、新型コロナウイルスは増々強毒化しているというコメントを紹介しましたけれども、これは、中国人民の怒りをコロナウイルスが食べまくって、どんどん凶悪化しているのではないかとも思うのですね。
ネットでは、共産党政府が武漢に建てた病院は感染者の隔離施設であって本気で治す積りはないのだとか、死んだ患者は碌に弔いもせず次々と火葬しては埋めているなんて噂も流れています。
もしそんなことをやっているのであれば、亡くなった患者さんやその家族の共産党への怨念たるや相当なものになると思われます。すると、その恨みの念を餌に新型コロナウイルスは、更に強毒化するという負のループに陥ることが考えられます。
11.コロナウイルスと共存しつつ静かにお引き取り願うべし
では、翻って日本はどうか。日本人は、中国政府の一党独裁であるとか、隠蔽体質は問題だとは思っても、怨念にまではなっていないと思われます。
また、中国人も日本に対してはそこまで恨みの念は持っていない筈と思われます。日本は初期の段階で中国にマスクや防護服を送るなど支援していることなどから中国人民から感謝の声を貰っていますから。つまり恨みとは逆の念が出ている訳で、中国人民の怨念はやはり中国共産党、中国国内に閉じ込められているのでないかと思います。
もしも、ウイルスが想念の質に従って変異するとするならば、日本に入ってきた新型コロナウイルスは弱毒化することはあっても、強毒化する可能性は低いということになります。これは事実そうであって欲しいと願いたいところです。
この考えを更に一歩進めれば、仮に新型コロナウイルスに感染しても、"彼ら"を弱毒化変異させればよいということになります。
果たして、そんな方法があるのか。
一つ考えられるのは、新型コロナウイルスに悪しき餌を与えず、善なる餌を与えることで、変異の度に弱毒化させるということでしょうか。
つまり、恨みつらみとか、破壊願望とか、何かを傷つけるという思いを抱かないことで悪想念を消していく、或いは、健全で前向きな気持ちを持ち、自身を善念で満たすことで、新型コロナウイルスの悪想念を中和していく、または、それこそ神頼みして、善の念を引き入れるという手もあるかもしれません。
春日大社は先月末あたりから、新型コロナウイルスの蔓延を阻止しようと悪疫退散の特別祈願を始めていますし、またお寺でも、新型コロナウイルス予防のための厄除招福のお守りを配布しているようです。
中でも筆者が注目しているのはチベットです。
もし、チベットで新型コロナウイルスの感染率が極端に低いなんてことがあれば、神仏への祈りはスピリチュアルな面での効果を発揮したと言えるかもしれません。
ただ、注意したいのは、これら祈願はあくまでも「退散」または「幸福祈願」であって「撃滅」とか「殺菌」ではないことです。つまり新型コロナウイルスを死滅させようとしている訳ではなく。退いて戴くということなのですね。
筆者はその底流に、祈りは善なるものであり、全てのものを生かすという思想があるように感じます。
今後、新型コロナウイルスが無くなるのかどうかは分かりません。逆に、ここまで世界に広がってしまえば他のコロナウイルスと同じく、常在するウイルスになるかもしれません。
であるならば、ひとまず、人間の体からはお引き取り願い、善念を喰わせて弱毒化していただいて、共存していく方向で考えていくべきなのかもしれません。
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