今日は、幸福実現党についてです。
まぁ、この日記は、裏・日比野庵でもあるので、率直に書いてしまいますね(笑)。中には手厳しい意見も出るかもしれませんけれども、御容赦下さいませ。m(__)m
丁度、2年前の今日、日比野庵で次の記事をエントリーしました。
「幸福を実現する3つの三分の計」
これは、幸福実現党が登場して、始めての総選挙を迎えるにあたって、その意義について検討した記事なのですけれども、これは大きな反響をいただきました。ええ、主に幸福実現党方面からなのですけれども、これで、日比野庵の読者がぐっと増えたことは確かです。
あれから、2年経ってどうなのかについて、少し話してみたいと思います。
さて、くだんの記事では、幸福実現党が登場したことにより、
第一計「政策三分の計」
第二計「マスコミ三分の計」
第三計「政界三分の計」
の3つの三分の計が発動しているといいましたけれども、2年経った今、どうなっているか。
これは、あくまでも私見ですけれども、第一計は成就&浸透、第二計が絶賛推進中、第三計は未達成&準備中というところではないかと思います。依然として、これらの3つの三分の計は発動中ですね。
特に第二計の「マスコミ三分の計」については、幸福実現党および、その母体である幸福の科学からの書籍出版はもとより、新聞、ラジオ、ネットなどで宣伝・主張を展開されていますから、絶賛推進中といっていいかと思います。まぁ、大手マスコミはあまり取り上げませんけれども、少なくとも、幸福実現党の存在はもう広く知られていますね。
ただ、残念なのは、幸福実現党の存在が知られているほどには、幸福実現党の政策は知られていない印象があることですね。確かに第一計である「政策三分の計」は成就したのですけれども、それは主に、先の衆院選で国民に政党のマニフェストを意識させたという意味での成就であって、幸福実現党そのものの政策にまで踏み込んでの理解までにはいかなかったように思うんですね。
その理由として、もちろん、大手メディアが取り上げないということもあるんでしょうけれども、本の広告をあれほど打っているのですから、一般の人への取っ掛かりがないわけではありません。
まぁ、幸福実現党の政策の良さは、分かる人には分かるのでしょうけれども、一般の人にはまだ十分には伝わっていないように思われます。本は沢山出ているのだけれども、それで分からないということは、本を読んでいないか、読んでも難しくて理解できないかのどちらかでしょうね。
私は、幸福実現党の政策を端から端までチェックしているわけではありませんけれども、感触としては、結構、日比野庵で言っている内容と被るものが多いように感じています。特に国防政策なんか、全然異論はないですね。
それが、良いのか悪いのかは別として、私としては、似たようなことを言っているなぁ、という認識でいるのです。
だから、日比野庵の読者の反応を見る限り、きちんと説明することさえできれば、結構、幸福実現党の政策は御理解いただけるような気はするんですね。もちろん、内容によっては、反応がなかったり、拒絶されたりするものもあります。
たとえば「日本を富ます方法」のシリーズエントリーの「お金と人を加速する」と「人口拡大と萌え」で、GDP拡大策として、金と人の移動を速くするとか、移民を進めて人口を増やせとか言ったことがあります。あの記事は自分なりに考えた上での意見だったのですけれども、確か幸福実現党も、リニアを走らせて移動時間を短縮してGDPを拡大するとか、移民による人口拡大策とか言っていますよね。
私は、あの記事を書いたとき、ようやく幸福実現党の政策の意味が理解できたのですけれども、記事についたコメントの反応を見ると中々厳しいものがあるかもしれないなと感じました。
勿論、私の説明が拙いというのはいうまでもありませんけれども、人の移動のスピードアップには反応がなく、移民にあれほど拒絶反応がでるところみると、あの2点に関しては、もっと丁寧な説明が必要かもしれませんね。要するに、もう少しPRの仕方を変えていく必要があるということです。
幸福実現党の主張については、あれだけ本が出て、新聞広告にもバンバン掲載されていることからみても、読んでいる人は、それなりにいるはずなのですね。
だけど、それでも票が取れないということは、「シンクタンクとしては一流。だけど党としては頼りない」。おそらく、そんなところでしょうね。だから、逆にいえば、「幸福実現党よ、政党として俺たちを信頼させてくれ」という国民の心の声があるのだと解釈することもできますね。
結局、幸福実現党は、新しい政治家像を創ろうとしているんだと思うんですよ。今の政治家は、中身が頼りないですからね。菅さんなんて、空き缶といわれるだけあって、空っぽだったことがはっきりしましたね。だから、逆にいえば、中身のぎっしり詰まった、哲人政治家とでもいいましょうか、宗教家兼政治家、哲学者兼政治家、といった人が出現することが、今の日本の閉塞感を破っていくようにも思いますね。
小泉元総理は、オペラや楽曲に造詣が深いことは良く知られていますけれども、フィンランドを訪問したとき、たしか同国のシベリウスについて、物凄く細かい話をして、その場にいた人に、なんでここまで知っているんだろうと驚かれたと聞きます。文化芸術でそうなのですから、宗教・哲学方面を押さえていればもっと力になると思いますね。
やはり、そうした尊敬される政治家がもっと出てこないと駄目だと思います。経済力しか取り柄がないとなったら、金の切れ目が縁の切れ目になってしまいますからね。
だから、その意味でも、はっきりと宗教政党として、そのまま壁をブチ破っていっていいと思うし、是非、哲人政治家を出していただきたいですね。
日本人はただでさえ、偉い人には、徳を求めるのです。それは皇室があり、陛下がいらっしゃるということが大きいように思いますけれども、今回の震災でも陛下は避難所各所を訪問され、王者の徳をお示しになられました。
まぁ、別にあそこまでは求めはしないですけれども、一目で、この人は違うというオーラであるとか雰囲気を身にまとった政治家がいるだけでも大分違うと思いますね。
その一方で、いくら新しい政治家像を創るとはいっても、やはり、一般の有権者に理解していただく努力は必要でしょうね。
あれだけ本が大量に出版されているのに、支持が広がらないということは、やっぱり理解していただくための努力が足りないんだと思うんですね。
人は、本当にピンポイントで伝えないと中々理解しないものです。針灸でいうツボと同じです。針はツボにきちんと刺さないと、何本打っても、ちっとも効きませんよね。
だから、相手のツボが何かをきちんとリサーチするということと、相手のコリをとってあげられると思う政策をちゃんと用意して、実際にコリをとってあげないといけない。その辺りがちょっと弱いような気がしますね。
世の中にウケるものというのは、単に人気取りだけではないのです。その人の心情や悩みにきちんと応えるものは、ちゃんと評価されるんですよ。
たとえば、最近話題になった「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメがあります。私も最初は、プリキュアに似たような類の話なんだろうと思って見なかったんですけれども、あまりに評判なので、見てみたところ、驚きました。凄い作品です。私なりに一言でいえば、「自己犠牲の愛」をテーマにした作品だな、と受け取ったのですけれども、話の展開といい、謎解きといい実に面白いし、感動させられます。これなら評判になるのも頷けますね。
最近、週間SPAの7/19号で、この作品の特集があったのですけれども、その中の評論が非常に面白いんですね。何が面白いかというと、論者によって、評価する視点が全然違うところなんです。
たとえば、幹細胞生物学者の矢代嘉美氏は、「疫学というマクロの数学の中では個の祈りは消えざるを得ない。私の専門である再生医療の問題にしても、正解はありません。まどかが最終的に自らの意思で選択したように、万能な答えでないと知りながらも何かを選ばなければならないときがある。そのことに改めて自覚させられる。そういう結末なのかなあと。」と言っていますし、公認会計士の磯崎哲也氏は「知人の弁護士も『まどか』は金融商取引法の講義にも使える作品だと話していました。…この作品は契約というものが持つ意味やリスクを誰にでもわかりやすく伝えられる非常に優れた作品だと思います。」と言っているんですね。
要するに、論者がそれぞれ自分の立場に引きあてて、感銘を受け、この作品を評論しているんですね。だから、単純なウケ狙いの、ひとりよがりな作品というわけではないんですよ。
やはり、多くの人の共感を得ようと思うと、一人ひとりのツボに丁寧に応えてゆくという姿勢は必要だと思うのです。
ですから、そのあたりを改善していけば、もう少し支持も集まるのではないかと思いますね。
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