文章に変化をつける手法について
今日も昨日の続きで、エントリーを面白くする工夫についてです。
昨日までは、記事を3次元的に、いわゆる空間軸的な工夫についてお話しましたけれども、実は、時間軸方向にも、仕込みを入れています。それは何かというと「ゆらぎ」なんですね。
よく私の記事には、冒頭に誰かのコメントなり文章なりを引用する形でポッと置いて始まる形式のものがありますけれども、たとえば、冒頭の引用文なんかはそれに当たります。
どういうことかというと、冒頭に引用したコメントの内容と、その次に続く文章に連続性がなく、ギャップをつけていることがあるのです。例えば 、このエントリー。
「歩く厄災」を封じ込めよ
これを例に説明してみますと、まず、冒頭部分はこうなっています。
「現実問題として、与野党協議の最大の障害になっているのが総理の存在であり、後手後手にまわった震災対応でも、総理の存在自体が国民にとっての不安材料になっている。一体何のために、その地位にしがみついているのか、考えを聞かせてほしい」
産経新聞・阿比留瑠比記者 於:4/12 記者会見
この最初の引用文の内容は、「菅首相の存在自体が国民の不安になっている、なぜ地位にしがみつくのか」というものなのですけれども、次に続く文章は、「福島原発事故についてレベル7宣言をした」という内容であり、一見すると何の繋がりもありません。けれども、これは、読者の注意を惹きつけるために、意図的にそうしているのですね。
余談ですけれども、この記事のTOP画像は「トライガン」という漫画の主人公で、この人物のゆくところ、必ず大きな被害が起こるので、人でありながら「局地災害指定」を受けているという設定になっています。いわゆる"歩く災害"。(爆)
先般、不用意発言等で評判が余り宜しくないのですけれども、現在、内閣参与を勤めている、平田オリザという劇作家がいます。
昔、彼の演劇論か何かの著作を読んだことがあるのですけれども、彼は舞台等のセリフについて「遠いイメージから入れ」と言うんですね。
彼の著作からそれについて述べた部分を以下に引用します。
台詞を書く際には、遠いイメージから入ることが原則である。
はじめに、美術館に関するイメージ、あるいは美術館を構成する要素といったものを、思いつくままに挙げてみる。
絵がある、静かである、デートに向いている、高尚な雰囲気、美大生がデッサンをしている、人がゆっくり歩いている、美術館である、白い、壁、椅子に座って動かない監視官…
これをイメージの遠い順に並べる。
静かである、デートに向いている、高尚な雰囲気、人がゆっくり歩いている、絵がある、白い、壁、美大生がデッサンをしている、椅子に座って動かない監視官、美術館である
これらフレーズを、美術館を訪れたカップルの会話に出していく。流れを読んで、子供のころのエピソードなどをはさんでもよい。
書きたいこと=テーマ(主題)がいらないわけではない。ただ、書きたいことがあるのは当たり前で、それと戯曲を書くという技術の問題とは切り離すべきではないか。さらに、書きたいこと=テーマ(主題)が先行することは、戯曲を書くという行為にとって、邪魔にさえなると私は思ってる。
平田オリザ「演劇入門」より
私は、これを読んで、なるほど、と思いました。そこで私は、これを日比野庵の記事に応用しようと考え、記事の導入部とその後に続く文章との間にわざとギャップを作るような記事へとスタイルをちょっと変えたのですね。
具体的には、記事の中ほどから終わりにかけて、取り上げる論点に関連した、引用文を文頭にポンと置いて、その後は普通に書き始めるのですね。
こうしてやると、最初は何も関係なく、浮いていた冒頭の引用文が文章の中ほどで繋がるようになって、冒頭の引用文が一種の伏線のような効果を発揮するのではないかと考えています。
そして、冒頭とその後の文章のギャップが一種の「ゆらぎ」となって、読者の注意を惹きつけるのではないかと思っているんですね。
ですから、逆にいえば、冒頭の引用文の内容は文章の後半以降で、再び取り上げてますよ、という宣言でもあるので、後に続く文章から冒頭の引用文までどう論理を展開してゆくのか、といった別の意味の読み方もできるかもしれませんね。(笑)
明日に続きます。
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