知識の蓄積について 

あまり大したことのない記事でも、毎日積み重ねていけば、やはりそれなりの分量にはなります。少なくとも記事のテーマについて、下調べをしたり、考えたという事実は消えないのですから、それらは、忘れない限り知識として蓄積されていきますね。 

もちろん、調査したデータが古くなって、次第に、その有効性が薄れるということはありますけれども、思考の道筋さえ間違えていなければ、データを新しく入れ替えてやることで、いくらでも修正は可能です。 

最近、知識の蓄積が、他の方の文章の深さというか、内容の掘り込み具合を見させてくれることがあるということに気づきました。 

今年に入って、例の震災や福島原発事故等があって、私も日比野庵で放射能関連の記事をいくつかアップしていますけれども、その中のひとつに「トリウム溶融塩炉の実用化を急げ」という記事があります。 

トリウム溶融塩炉というのは、今のウランを核燃料とする代わりに、トリウムを燃料とする原子炉なのですけれども、一部で再注目されつつあるようです。 

私がこのトリウム炉の記事を書いたのは4月3日なのですけれども、国際戦略コラムのFさんも、4月18日にトリウム炉についてのコラムをアップされています。次の記事です。 

3961.トリウム原発と常温固体核融合 

実にあっさりと触れられた短いコラムなのですけれども、正直、原子炉についてよく知らない人が、これを読んだだけでトリウム炉の事が分かるかというと、まぁ殆ど分からないのではないかと思います。要するに、ポイントはきちっと抑えているものの、ディテールの説明を一切省略しているために、一読しただけでは「ふ~ん、そうなんだ」という感想くらいしか持てないだろうと思うんですね。 

私は、このコラムの題名をみたときに、Fさんならどういう記事を書くんだろうという興味と共に、自分が知らない情報がないかどうかのチェックをしながら読んだのです。 

その結果、知らない情報は殆どなかったのですけれども、やっぱり説明を省略しすぎなんじゃないの?と思ったことは事実です。ただ、同時にちゃんと調べた上でのコラムであることは分かりましたし、どのあたりまで調べたのかまで、なんとなく見えたのですね。 

まぁ、トリウム炉という、まだまだマイナーな炉の話ですし、私自身、専門的なところまで勉強しているわけでは全然ありませんから、通り一遍の知識しかありませんけれども、それでも、どこまで調べて書いているかまでは分かるのですね。 

たとえば、Fさんのコラムでトリウム炉の説明として、次の一文があります。 


「核反応が固体の燃料棒ではなく液体燃料炉の中で起こるため、メルトダウンが発生する危険性がないとされている。溶融塩とは、塩類が高温で液体になったもの。MSRでは、トリウムのフッ化物を混合した溶融塩を燃料としてエネルギーを取り出す。クリーンな原発ともいうようだ。」


ここの文章を読んで、どこかで読んだな、とピンときたので、私がトリウム炉の記事を書くときに集めた資料を引っくり返してみると、果たしてありました。次の記事です。 

中国が開発する「クリーンな新型トリウム原発」とは  

この記事の中ほどに以下の文があります。 


「トリウムは溶融塩炉(MSR)に適し、核反応が固体の燃料棒ではなく液体燃料炉の中で起こるため、メルトダウンが発生する危険性がないとされている。[溶融塩とは、塩類が高温で液体になったもの。MSRでは、トリウムのフッ化物を混合した溶融塩を燃料としてエネルギーを取り出す。原理的に重大事故を起こさないとされる。]」


と、まぁ、殆ど同じです。こちらの記事は2月16日付、Fさんのコラムは4月18日付ですから、Fさんはこちらの記事から引用した可能性が高いと思われます。だから、こうした感じで、読んだ記事の引用元文献まで分かるようになると、その記事の深さというか、調査レベルが分かってくるんですね。 

その意味では、何かの専門家が自分の専門領域について、テレビやネットなどでしたり顔で解説しているのを見たとしても、たぶんすぐ底が見えてしまうと思いますね。 

だから、やっぱり、知識の蓄積というのは馬鹿にならないと思うし、その積み重ねが自分に対する自信や不動心に繋がってくるようにも思うんですね。 

まぁ、日比野庵でも、ときどき、コメントで批判とかも頂きますけれども、言い掛かりに近いなぁと感じるものも正直あります。けれども、最近は、そんなに言いたいことがあるのなら、御自分でブログなりサイトなり立ち上げて、そちらで御主張なされてはいかがですか、と言い返すくらいの気持ちにはなるのですね。もちろん、きちんとソースを提示した上で、ロジカルに反論するコメントについては、有り難く勉強させていただいてます。 

振り返ってみるに、私は、2007年と2008年の2年間で60本程、思索タイプのシリーズエントリー記事を書きましたけれども、あの蓄積が私にとって実に大きなアンカー(碇)となって、心を支えているような感じがします。う~ん。やはり、あそこまで考えて結論を出した、という思いがあるのが大きいような気がしますね。 


知識があれば、記事のレベルが見えてくる。 

蓄積は、いつしか不動心になる。 


小池一夫氏原作、叶精作氏作画のゴルフ漫画で「新・上ってなンボ!!」というのがあるのですけれども、主人公である太一の師匠となった、ウォルター・マンソンという人物の台詞が実に味わい深いのです。 


「精進する者にとって時は流れない。積み重なるのだッ。」 ウォルター・マンソン


だけど、勉強すればするほど、知らない領域が増えていくという悲しさ・・・きっとこれは一生逃れられないのでしょう・・・(TT)。 



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