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日比野庵・メルマガ版 No.0002 2009.03.16
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こんにちは。日比野です。 毎週木曜発売・週刊モーニングで隔号連載中の漫画
、山田芳裕『へうげもの』という作品はご存知でしょうか。 戦国時代の武将で
、茶人でもある古田織部を主役とした作品ですが、“茶聖”千利休がまた強烈
なキャラクターとして登場します。
■ 利休に思う 偽書とされる『南方録』では、新古今集の家隆の歌
「花をのみ まつらん人に やまざとの ゆきまの草の 春をみせばや」
を利休の茶の心髄としている。 私は、茶の湯には、その作法を通して、虚飾を
去り、生きとし生けるもの全ての命を慈しむという美学があるのではないかと
思っている。
利休ならば、一寸の虫が、たとえ足一本がもげてなくなっても生きる姿に、命の
輝きと美しさをみるのではないか。 わび・さびは辞書的には、質素であるとか
、枯れた味わいだとか説明されているけれど、そんなのは、虚飾を去るための方
法論。 人は裸で生まれ、裸で死んでゆく。
しかし、俗世を生きるうちに、身にも、心にも、飾りをつけてゆく。それが、目
を曇らせ、命の輝きを見れなくし、美しさを失う。だから、自らを質素にし、簡
素にすることで、虚飾を去り、身も所為も心も清らかにして初めて本来の美しさ
を自覚する。自分にも世界にも。その気持ちが、冒頭で示した、家隆の歌に繋が
ると思う。
なんとなれば茶の湯とは、生命の輝きをみるための、ひとつの作法ともいえるの
かもしれない。
☆もっと詳しく読みたい方はこちら
「茶の湯のこころ」http://kotobukibune.at.webry.info/200708/article_14.html
☆━ 編集後記 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今日の記事の元原稿を書いた後、しばらく茶の湯の真髄とは何だろうか、と考え
ていました。この記事では、茶の湯とは「命の輝きを見つめる作法」ではないか
、としてみましたが、やはり伝統的解釈でもある、禅を源流とする「主客一体」
「一期一会」などが茶の湯の真髄なのでしょうね。
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